第48回美術科教育学会@東京

2026年3月14日・15日の土日2日間、東京(早稲田大学)において開催されました、

第48回美術科教育学会に参加して参りました。


1日目は平素よりご指導いただいている清田先生、松浦先生方のご発表を中心に聴講しました。お世話になっている先生方が普段どんなことをご研究されているのか知る貴重な機会でもありました。


簡単にではありますが、

今回の学会での先生方のご発表内容と私の所見を書き残していきます。


学会への同行を許可してくださった先生方、先輩へ感謝申し上げます。



①「図画工作科授業における中動態としての学びの姿の見取りの検証」


◎ご発表にあたった先生

・木村 仁先生(滋賀大学教育学部附属小学校)

・妹尾 佑介先生(岡山県立玉島高等学校)

・松浦 藍先生(岡山大学)

・清田 哲男先生(岡山大学)


②「『学びの扇』を用いた児童生徒の省察」


◎ご発表にあたった先生

・妹尾 佑介先生(岡山県立玉島高等学校)

・大橋 功先生(和歌山信愛大学)

・藤田 雅也先生(岡山大学)

・木村 仁先生(滋賀大学教育学部附属小学校)

・清田 哲男先生(岡山大学)


1.どんな問題点・問題意識か

(主として図画工作の)授業を受ける中で、児童・生徒を「能動」と「受動」の状態に分けて評価してしまいがちになってしまう

これら二元論下のもとで評価してしまっているのではないか

生徒の学びを見逃してしまっているのではないか


2.問題解決の手段

「学びの扇」の活用


※学びの扇については前後の記事も参照していただけると有難いです


3.実践例:木村先生

・ふりかえりシート

…児童に記入してもらう形で実施。自分が今どの位置で授業を受けているのかを、児童自身に示してもらうという意図のもとPlayとDIに整理・記入


整理・記入の段階や過程に、今回の演題にもある「中動態」があるはず、という仮説の元実施されました。


実施された内容のフィードバック:

①授業者②撮影者③第三者 の3つの視点に分けてそれぞれ考察、

3つの視点ごとに其々が見取ったものをもとに「学びの扇」を作成するという手順で行われました。

3つの視点ごとに作成した扇はかなり異なるものになっており、

いずれにせよ児童の心理的発達・発達段階を大いに踏まえているという点で共通していましたが、児童がこのとき何に注目しているのかはまったく先生ごと・視点ごとに捉えたものが異なっていました。


4.結語・展望

「学びの扇」・・・子どもを単一の視点で見ないようにするためのサポートツールである

学びの質、というものはツールを利用することでいっそう掘り下げることが可能


図画工作の授業は担任の先生が担当すべき、というのは、

扇のツールの活用によって普段接している担任の先生でないと掘り下げられない児童の「中動態」が確実に存在しているからだと思いました


◎他に言及されていたことのメモですが

・扇の制作をしようとすると、Play⇔DI の二項対立 の構図になってしまう

⇒能動・受動の二項対立解消のためのツールでさらに二項対立になってしまう

(対処法)あくまで扇もサポートツールの一部


・Play⇔DI は点で見るのではなく「動的」なものとして捉える


・学びの扇は教員に対する評価の意識改善・生徒に対するアプローチ

:教科主義、経験主義


・扇化により学びは視覚的にわかりやすくなる

言語化しづらい子どもの動きを図式化できる


・Play⇔DI の判断基準は、評価者の学びの扇への理解度に依存する

(だから今回のように複数の視点で見ること・提案されることにも大いに意味がある)


・児童・生徒の書くPlay⇔DI…子どもの「その日の気分」にもよる

⇒学びの扇・・・1視点からではそれを絶対的な基準にはできない

(対処法)あくまで扇もサポートツールの一部


・人のしぐさは回収・解釈しづらい

⇒学びの扇・・・1視点からではそれを絶対的な基準にはできない


・ビデオリフレクション(映像分析)の労力問題

ビデオリフレクション+複数の視点で分析・・・を毎時やるのは非現実的

(対処法)ビデオでなくとも、アイデアスケッチの書き溜めの変化を見るなど他にも手段はある


◎キーワード・用語

◇中動態

◇非認知的活動

◇学びの扇

◇教科主義・経験主義

◇枠づけ論


今回の木村先生の実践例では小学4年生の映像が使用されていて、

子どもたちが一生懸命ああしようこうしようとしている姿に

会場から温かい笑い声がしたことが印象的でした。

当然のことですが「ここにいる人たちは皆 子どものことが好きなんだな」としみじみと感じさせられましたし、だからこそその気概でここまでのことを皆様ご研究なされていると考えると

私も一介の教員志望者としてもっと意識を高く持たなければと喝を入れられる心地でした。



③④「米国でのSTEAM調査研究1・2 RISDの≪正統なSTEAM≫の現在」


◎ご発表にあたった先生

・藤原 智也先生(愛知県立大学教育福祉学部)

・清田 哲男先生(岡山大学大学院教育学研究科)


2010年以降、日本でもSTEAM教育に言及し始めた書籍等が急増したことをはじめ、

日本でSTEAM教育が熱を持ち始めるまでの経緯についてが紹介され、


理学・工学と芸術の融合により、

創造性・批判的思考を育む・・・

ということやSTEAM教育の発端、定義について述べられました。


Nature Labでの実地調査・成果の共有

◎Nature Labとは:

1877年より運営されている米国トップの美術大学:

RISD(RHORD ISLAND SCHOOL OF DESIGN)

1937年設立(時代交渉的には日本でいうと日中戦争が勃発する年であり大戦の開戦前前年にあたるわけですから国力の余裕というか・・・を感じさせられます)された施設


↑上記参照の同リンク内より引用(https://naturelab.risd.edu/)

写真のように 標本 等が置かれているようです。


先生方の聞き取りを含めた実地調査によると、当館は学生へのアプローチとして

①まず美しいものを見つけ、スコープする

②具体化する、感じたことを掘り下げる

・・・をおいているそうです。


自然からの発明=バイオミミクリー(生物模倣)というものを期待しているという言及も。

例:蝶⇒フィルム発明、カワセミ⇒N系のぞみ・新幹線発明


Nature LabはSTEAMの基幹施設であるそうです。

そのためSTEAMをガッツリ「制度」として大学社会に落とし込んでいて、

当館が単に芸術の表現者にのみ開かれているものでなく、

教員養成、現教員や外部に専門をおく科学者への教科・アプローチの機関として機能していることが挙げられるそうです。


STEAMをただの合言葉にしない、ということにコアがありますね。


↑上記参照の同リンク内より引用(https://naturelab.risd.edu/)設計・建設ともに学生の方が行われたそうです。科学的根拠を基に、自然物が研究室へ要素として取り入れられています。(酸素多そうだし空気きれいそう・・・)


ほかに実地調査で得られたこととして、

①STEAMは芸術と科学を「ふたたび」統合する試み である

・・・近代以前は芸術=科学であり、それ以外の場合でも両者は非常に近い存在だった


②人間は視覚的思考を用いなければたどり着けないところがある

・・・アインシュタイン、ジョン・ケンドリューなど


③芸術は五感(諸感覚)と感情に働きかける


④芸術は当事者意識を 市民 と 科学者 に与える


Object based learning はSTEAMにとって重要である

・・・注意、知覚、メタ認知:転移効果


また、

・STEAMを単に「教科横断」と解釈するのは不十分

(日本で多く曲解されているのは国の指針の記載によりミスリードが生まれているという見解もあり)


・芸術は「かざり/装飾」を生むためのものではない

・・・探求・認知への効果が芸術には期待されている


日本では何のアクションが必要なのかというと、

RISDのように藝大・芸工大の中に研究機関・教員養成の機関があるべきではないのか

ということが言及されていました。

STEAMを社会に持ち込むには、これらのことに芸大も引きずり込む必要が自ずと出てくるということですね。


追記:

前述、芸術はかざりではない・・・ということを述べましたがその件について。

STEAM推進校でもある某国内小学校の図工専科の先生が質疑応答内で発言されておりました、

「うちの学校では総合の授業でプログラミングしたロボットのかざりつけを、

図工の授業で行っているんです、図工としてもはや成立していないのです」

現場の難しさについての発言が自分の中に非常に引っかかっています。


自然や社会と結びつくような教育・学校にしていかなければ・・・

という話は昨年12月20日のCE(クリエイティブエデュケーター)講習会でも主張に挙がっていたため改めて実感するとともに、

現場の声を聴いてこれがもはや仮説ではないということを思い知らされる機会でもありました。

大橋先生は質疑応答の際にも「日本の美術教育はSTEAMの『A』の役割に応えられるか」という問いに対し、今の日本のリソース厳しい現状、旧来の美術が延々とアップデートされていないまま現在に至ることなど、今の社会の求める価値が変わらない限りは『A』に美術は呼応できない旨をお話されていました。


⑤「文化的実践に基づいた子どもの絵の新しい価値に関する一考察」

◎ご発表にあたった先生

・松浦 藍先生(岡山大学)


1.どんな問題点・問題意識か

・子どもの作品が社会に与える影響について

例)子どもが授業内で制作した作品・成果物・・・あまり子ども自身も大切にできていない

⇒自身の作品が社会的に価値がある、と理解できると変わるのではないか

また、子どもの作品に、大人が良さを見つけることができるのではないか


2.問題解決の手段

子ども(中学生)の作品を、子どもと無関係(家族や知人ではない)な家庭・職場に預ける

作品ホームステイ を行う

作品を預かったご家庭への前後聞き取り・インタビューを行い、

子どもの絵が家に来てからの心情・考え方の変化などを見取っていくという手法のようでした。預かる期間は1か月だったそうですが、インタビュー映像中では感じ方が大きく変化された方もいて、他の場合・ケース(家庭のみならず職場など)での実践例も非常に気になりました・・・!

普段先生がどのようなご研究をされているのか、あまりよく知らなかったので聴講しながら

とてもわくわくしていました


・映像中でも特に気になったのが、ある絵を預かったご家庭の方が

授業中に作った作品です、と言われて渡されると、ここは先生に言われた(指示された)から書いたのかな、とか、成績のために(気に入られるように)描いたのかなとか邪推してしまうけれど、その前提がなくなればヘンにバイアスがかからない状態で作品を純粋に見ることができる

とおっしゃっていたことです。


保護者の方が生徒(自分の子ども)の作品を純粋に受容できないとすると、

そこには「どこまでが本人のつくりたかったものかわからない」ということが起因しているのかもしれないと考えました。

作品だけを見て感じ取るのは私自身もとても難しいですし、

作品だけ、ではなく、制作の過程(映像なりリフレクションなり)が添えられているともっと見方も変わってくるのかもしれないと感じました。


質疑応答で文教出版の方もおっしゃっていたことのうちに、

図工・美術の時間に作ったものがあまり生徒に大切にされていない印象がある

例)学期末ないし学年末に持って帰る段階でぐしゃぐしゃになってしまう、絵は折りたたまれてしまっている・・・

だからこそ、作品だけではなくその過程を残せるように方策を練りたい

・・・というご意見もありました。


子どもの作品が家庭からの需要が低く、それゆえに子どもの意欲も低下してしまうのではないか、だからこそ、他者からの価値・いろんな視点からの価値づけが有効ではないかということが結語に述べられていました。

今後の先生のご研究の続きが気になります・・・!!


今回は1日目に聴講した演題についてをご紹介しました!

普段は知ることのできなかった、先生方のご研究の内容を垣間見ることができ、

またそれを受けて自分は将来何を研究しようか/ もっと知ってみたいことの範囲がグッと広がりました(*^^*)


(さいごに 勉強のためなら・・・と期待して東京への交通費等諸経費を全額持ってくれた両親へ、現地で体調をこじらせた挙句病院やら薬局やらで更に金銭的負担と心配をかけてごめんなさい・・・)

岡山大学 清田哲男研究室

岡山大学で美術教育・創造性教育を研究している清田哲男研究室の学生・院生によるBLOGです。清田哲男教授のご指導の元、学部生7人、修士課程2人、博士課程3人、助教1人の計12人で、岡山大学を拠点に、教育の可能性を広げる研究・実践を行っています。子どもたちの豊かな未来を想い、日々活動しています。

0コメント

  • 1000 / 1000